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多趣味で無趣味

超感情派ブログです

樹海に行ったことない人が樹海に想いを馳せるテスト

他人への怒りが、ふとしたことで止まらなくなることがある。今まで一応折り合いをつけたはずのことを、エピソード的にふと、その時の感情とセットでぶり返してしまうのだ。
そんな時は極力、苛立ちの原因から離れるように試みている。代わりに社会の問題やら、倫理学やら、自殺について考えようとしている。今回は自殺についてとりとめのないことを書いてみたい。

自殺というと、真っ先に青木ヶ原樹海を思い浮かべる。世界文化遺産に登録された富士の麓に転ぶ大量の死体。閑静な土地であるがため金持ちが別荘を立てる一方、その近くでは人生に絶望したものが集っている。このミスマッチさがアンダーグラウンドな姿を醸し出していると私は思う。

そこに限らず、東尋坊といったいわゆる自殺の名所ではあちらこちらに生き延びさせようとするものがある。命の電話ボックス、警察の番号とメッセージが記された看板ーーそれによって自殺を思いとどまる人間も数多くいるであろう。
しかし、それ以上に生身の人間の存在が自殺を食い止める最良の手段ではなかろうか。それも、あからさまな「死んで悲しむ人もいる!」と声を高々にして言わなくてもいい。

たとえば、青木ヶ原のバス停の近くには売店がある。自殺しに電車やバスを乗り継ぎ、死ぬ前にタバコを一服しに買いに来る人もいるかもしれない。そんな人に売店の方は一声かけることがあるようだ。そこで踏みとどまる人はかなり多いとのこと。

また、声をかけなくても、人間の存在だけでも自殺を踏みとどまることにつながる。先ほどあげた東尋坊では、ポケモンGOでレアポケモンが出るようになった結果、多くの人々が訪れるようになった。夜になっても人は多く、自殺しにくくなったという出来事があった。

私は度々、死にたさに襲われることがある。若いが故の自己破壊衝動なのか、それとも、極端の自己批判によるものなのか。どちらにも当てはまるだろう。
だが、それらはいつか乗り越えていけると変に楽観的に見ているところもある。

もしそんな日がやってきたら、青木ヶ原の近くでそれとなく自殺願望を持つものとくだらない話をする人間になりたい。

空の色や森の静けさ、美味しかったラーメン、最近笑ったギャグの話でも、なんでもいい。

これは偽善的な行為なのかもしれない。それに私はそもそも話すことが苦手である。しかしそれでも、何かできることがあるのならば、やってみたいものだ。


自殺はしなくても、樹海の中を彷徨って心を無にしてみたいわたくしでした。途中樹海関係なくなったが。